【テセウスの船】修復された船は部品が全て変わっていても本物と呼べるのか?【思考実験】

「テセウスの船のパラドックス」をご存知でしょうか?

テセウスの船と言えば、以前TBSでのドラマでもありました。

あちらは漫画原作のドラマで、当然このテセウスの船のパラドックスをモチーフにしているドラマです。

それはさておき、「テセウスの船のパラドックス」がどのようなものかをまずは簡単にご説明します。

テセウスの船のパラドックス

テセウスの船は、ギリシャ神話に登場するアテナイの王、テセウスがアテネの若者と共に帰還した際に乗っていた船です。

そのテセウスの船を後世に伝えるべく保存しようとアテネの人々は考えたのですが、損傷している箇所や腐敗していた箇所などを交換していったところ、果たして違う部品を使って修復された船は同じテセウスの船と呼べるのか? という議論が起こりました。

派生した話として――

テセウスの船を修復すべく全ての部品を新しい物と交換して修復しました。

その際に古い部品を捨てるのももったいなかったので、古い部品のみでも船を一艘組み立ててみることにしました。

すると、元の船の部品であった古い部品のみで組みあがった船と、全ての部品を新しい部品へと交換した船が出来上がりました。

では、古い部品のみで組み上げた船と、全ての部品を交換して組み上げた船、本物のテセウスの船はどちらでしょう?

どちらのテセウスの船が本物か?

この「テセウスの船のパラドックス」が提示するのは、同一性の問題です。

少し考えてみて欲しいのですが、あなたならどちらが本物であると考えるでしょうか?

このような思考実験やパラドックスには基本的に明確な答えはありません。

ただ、状況などを設定してあげることで「どちらかと言えば」というレベルでの選択は可能になるかと思います。

例えば、あなたが「博物館に本物のテセウスの船を飾りたいから選んでほしい」と頼まれたとしたら、どうでしょう?

僕だったら、歴史的価値などを考慮しますので「古いままの素材で組み上げられている方の船が本物です」と言うと思います。

そのように聞かれなかったとしても、僕としては本物のテセウスの船はやはり元の古い素材だけで組み上げられた船がと思うかも知れません。

やはり、「元の部品」という部分が僕としては大きいように思うからです。

次に、「よりテセウスの魂が入っている方が本物だから選んでくれ」と言われたらどうでしょう?

魂自体が抽象的なものではありますが、言いたい気持ちもわかります。

考えてみることにすると、元々のテセウスの船から古い部品がどんどんと交換されていき、新しいものへと置き換わっていきます。

最終的には全ての部品が新しい部品に置き換わり、取り除かれた古い部品でもう一艘船が組み立てられました。

しかし、元の船が修理されていく過程を見ていたので、やはりテセウスの魂は修理されて新しい部品のみになってしまった船の方にあるような気がします。

後から組み上げれた船は、部品自体が古い元の物であっても、あくまでもオマケで作られた船のように思えますし。

――いかがでしょう? つまりは、明確な答えなど出せないということなのです。

そしてこの「テセウスの船のパラドックス」がパラドックスであるのは、こんな問いかけも出来るからです。

人間もまた、全ての細胞は常に入れ替わっており、数年前の自分と今の自分とでは全く違う細胞で作られています。

だとしたら、今の自分は果たして本物の自分であると言えるのでしょうか?

身近にも沢山存在している「テセウスの船のパラドックス」

流石に「自分は自分だよ馬鹿野郎!」と思うでしょうが、しかし「テセウスの船のパラドックス」と同じ問いかけではあるのです。

また、身近に結構「テセウスの船のパラドックス」は存在しています。

特に多いのが、歴史的に価値のある建造物です。

地震などの自然災害で倒壊してしまったり、火災で焼失してしまった建造物が形だけを可能な限り近づけて新たに建て直されるのはよくある話です。

果たしてそれら新たな部品で建て直された建造物は、本物と呼べるのでしょうか?

僕は昔から少しひねくれてましたので、ニュースなどで「歴史的価値のある○○寺が現代の最新技術と新たな木材で復元されました」というのを見て、「いやそれニセモノじゃん」と思っていました。

まさにその考えこそ「テセウスの船のパラドックス」。

違う部品を使いまくって修復した建造物はもはやニセモノであるとも言えます。

しかし、世間的には元の建造物の名前で認知されていると思うのです。

つまり皆それが「本物」と認めていいるからですよね。

まとめ:「テセウスの船のパラドックス」は身近なところにもたくさんあるから探してみよう

「テセウスの船のパラドックス」は思考実験でもあり、またパラドックスでもあります。

故に明確な答えというものは残念ながらありません。

それでも、自分なりに思考してみることで色々な発見ができるはずです。

これを書いていて1つ見つけたのですが、イギリスのロックバンド「クイーン」はフレディ亡き後もアダム・ランバートをボーカルに据え、活動しています。

もちろん古くからの熱心なファンであればあるほど「そんなのクイーンじゃない!」と言うでしょうが、反面それを認め、楽しんでいる方が多くいるのも事実です。

クイーン自体が「新しいクイーンだ!」と言っているのですからそれはもうクイーンなのですが、フレディがいる事を前提としたクイーン像を持っている方にとっては到底本物とは思えないかも知れません。

うーん……つまりなんと言いますか……テセウス!

思考実験に興味が沸いたら、ぜひ本でも読んでみてください。

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