「一体お前はこんな道路のど真ん中まで来ちゃって、どうしたっていうんだい?」
誰もが雨の日や夏の暑い日に、道路のど真ん中で往生している干からびたミミズを見た事があるかと思います。
気持ち悪い見た目から「うげぇ」と思いがちですが、僕は以前から不思議に思っていたのです。
なぜミミズ達はわざわざ道路中央にくたばっているのか?
なぜ地中にじっとしていなかったのか?
今回はそんな気持ち悪くとも必死に生きようとしているミミズの謎をご紹介します。
この記事を読んだら、きっといつも避けていたミミズの亡骸も違う見え方がしてくる事でしょう。
ミミズが道路横断を試みた理由
結論から言えば、ミミズが道路中央に出てきてしまった理由は2つ。
1.雨が降り、地中での呼吸が難しくなった為
2.暑さで地中の温度も高くなり、別の場所へ移動する為に移動する為
です。
道路の真ん中に来て命が尽きてしまったのも、わざとでもなんでもなく、必至に生きようとした結果なのです。
ミミズは未だに解明されていない部分も多く、今でも議論が続けられています。
例えば雨の日に外に出てくる理由は、「雨の音が天敵のモグラに似ている」「雨のうちに違う土へ移動しようとして出てくる」など複数の説があります。
しかし大きな理由としては先に挙げた2つの理由が多いようです。
しかしなぜ雨が降ると呼吸ができなくなってしまうのか?
暑くなると外に出なければならないのか?
そこを詳しく見ていきましょう。
ミミズには目がない
でもなぜわざわざ道路の真ん中にミミズは出てしまうのか?
それは、ミミズには目がないという事も関係しているでしょう。
ミミズという名前も、「目見えず」が転じてミミズになった、という説もあるほどです。
しかしミミズは視細胞という光の刺激を感知する事の出来る仕組みを持っており、光がある方向は感知することができます。
しかしそれはあくまでも光の方向の感知のみですから、どっちに地面があり、どっちにコンクリートの道路があるかなどはわからないのです。
呼吸は全身で皮膚呼吸をする
なぜ雨が降ると呼吸ができずに地上に出てくるかというと、ミミズの呼吸方法が関係しています。
ミミズには呼吸器がなく、全身の皮膚による皮膚呼吸でのみ酸素を取り込んでいます。
その為に酸素を取り込む効率は良くないので、雨が降り土に水分がたっぷりになってしまうとすぐに苦しくなってしまうのです。
そこで仕方なく危険だらけの地上に出ていくことになります。
出ても、新たな土を探さねばなりません。
光のみを頼りにとりあえず移動を試みるわけですが、進んでも進んでも新たな土に辿り着けず、雨もあがってしまいます。
そして気付けば太陽が燦々と輝き始め、干からびてしまう。
天にのぼるミミズの魂は、地上に横たわる自分のナキガラを見て、
「ちぇ。道路じゃねぇか。広すぎだろ」
とボヤキながら天へ召されるのです。
めでたしめでたし。
体温調節ができない
ミミズはタフです。
ミミズの適性温度は5℃〜25℃という幅広い気温を耐え抜きます。
しかし、ミミズには体温調節をする仕組みが備わっていません。
ミミズが快適だと思える気温というのは、人間が快適だと思える気温に違いです。
そして昨今の日本は気温がかなり高くなる日が多いのは周知の通り。
ミミズにとっても真夏日ばかりの日々は地獄で、事態は深刻です。
あまりにも暮している土の中が熱くなってくると、嫌でもミミズは引越しせざるを得なくなります。
土の中だからと言って絶対に涼しいわけがなく、暑い箇所は暑いです。
そこでミミズはうにうにと土から這い出し、光だけを頼りに新たな涼しい住処を探すべく危険な旅に出るのです。
うにうに、うにうに、と進みます。
しかし進んでも進んでも涼しい椎に辿り着けない。
それどころか物凄く暑い道を選んでしまったような気もする。
太陽が照りつける。
暑い……暑すぎる……
気づけばミミズは魂となり、地上で干からびている自分の姿を目撃します。
「ちぇ、道路のど真ん中じゃねぇか。人間いい加減にしろよマジで。昔はこの辺り池だったんだぞクソが」
ミミズはそうボヤキながら天へと昇っていくのです。
めでたしめでたし。
ミミズは良い土を作り続けてくれる大切な存在
見た目のキモさ、踏んじゃった時の不快さなどから、ミミズを愛していると公言出来る人はかなり少ないのではないでしょうか?
しかしミミズは良い土を作るスペシャリストとしても有名なのです。
ミミズが食べて、かき混ぜて、排泄する。
それらの工程全てが良い土を作る上で大切な要素であり、農業ではミミズは良い土の証であるともされているのです。
ミミズが土の中を掘り進むだけで、その通り道が土の中に酸素を送り込む空気の道になります。
ミミズが食べて排泄した糞は、栄養たっぷりの土への最高の栄養となります。
ミミズあっての良い土、まさにミミズは土の守護神なのです。
――余談ですが、僕は小さい頃、父親につれられてよく川釣りに行きました。
その時にエサは現地調達するのですが、基本的には石の下に住むミミズを針につけて使いました。
時が経ち大人になってから1度だけ、父親と釣りをしていた川に行ってみたのですが、岩をいくらめくって探してもなかなかミミズを発見出来ませんでした。
たしかにその大好きだった川は、今ではちょっと臭くて汚い川になってしまっていたので、ミミズにも見放されてしまったよくない土になってしまっていたのかも知れません。
ミミズがいる、ということはやはり良い土のあることの証明でもあるのでしょう。
※ミミズはスカベンジャーとしての側面も持っています。スカベンジャーについての記事もよければ併せてご覧ください。
まとめ
ミミズはただ生きようとしていただけであるという事、おわかり頂けたでしょうか?
ミミズに限らず、あらゆる生き物はただ必死に生きようとしているに過ぎないのです。
それを人間が勝手に解釈する。
時にドラマチックに、時に滑稽に。
道路の真ん中で干からびるミミズに、必要以上に同情する必要なんて全くないと思います。
ただ、蔑んだり気持ち悪がったりはしないでほしいのです。
単にミミズは必死に生きようとしていただけ。
少しだけ道を間違えてしまっただけ。
今日も僕はミミズのナキガラに「お前の分も生きるから」と心で呟き、前を向いて歩いて行くのです。
僕らもミミズ同様、必死に生きるだけ。
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